虚無らがえり

アニメ批評/エッセイ

交際経験がないオタクがNTRで心を痛める現象は幻肢痛なのか

 

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Portrait photography of Theodore Sturgeon

(sited from, http://www.theodoresturgeontrust.com)

1.SFの90%はクズである

2.そしてあらゆるものの90%はクズである

        (スタージョンの黙示)

 

 

緒言

昨今のサブカルチャーで所謂二次元系のコンテンツにおいてNTRと呼ばれるジャンルが流行している。

NTR(寝取られ)とは、基本的に、自分の好きな人が他の者と性的関係になる状況に性的興奮を覚える嗜好の人に向けたフィクションなどの創造物のジャンル名を指す*1

これにたいして以下のような言説がある。

これは交際経験がないのにNTRの寝取られる側(彼氏)に感情移入して、ヒロインが寝取られることによって心を痛めることを"幻肢痛"に見立てて一人で勝手に気持ち良くなってるオタク*2を嘲笑(あるいは、自虐)するユーモアである。

しかし交際経験がないオタクがNTRで心を痛める現象は本当に幻肢痛とよべるのだろうか。

 

幻肢痛とはなにか

幻肢痛は医学的に以下のように定義される*3

1.四肢切断後の患者が、失った四肢が存在するような錯覚や失った四肢が存在していた空間に温冷感や痺れ感などの感覚を知覚する現象を幻肢と総称する

2.幻肢に痛みを感じる現象をとくに幻肢痛とよぶ

 

幻肢痛は幻肢(=かつてに持っていて、のちに失った器官)に痛みを感じる現象だが、オタクがNTRで心を痛めるとき、幻肢にあたるものはなにか。

ここでは感情移入によってオタク=虚構の作品内でヒロインを奪われる者(ヒロインの彼氏、家族など心優しく、友好な関係にあるが性的積極性に欠ける、あるいは性交渉のスキルに乏しい)という図式が成り立つとして

幻肢=寝取られて失ったヒロインと想定する。

ヒロインを四肢、自分の器官のひとつと認識することは示唆的だが、特に男性において交際相手を「所有している」とみなす感覚は、一般にある程度のコンセンサスを得ているだろう。(そもそも「寝取る、取られる」とは対象(ヒロイン)を主体性のないモノとして認識したうえでの物言いであり、性的ジャンルであり、実践である。)

かつて自分の一部であったヒロインが、筋肉質で浅黒く、卓越した性的技能を有する竿役によって奪われたとき、ヒロインは「幻肢」となる。

だとすれば、ヒロイン(幻肢)に痛みを感じるときオタクは幻肢痛をおぼえるわけだが、寝取られたヒロインが痛めつけられることはない。

NTRのヒロインは精神的に葛藤する描写はあるものの、基本的にずっと快感のなかにあって竿役によって気持ちよくさせられている・・・・・・・、)

虚構内でヒロインを奪われる者(感情移入の対象)が心を痛める瞬間は、籠絡されたヒロインのあられもない姿をビデオレターで確認するときなどだが、NTR作品においてはヒロインが寝取られていく過程がメインであり、アヘ顔ビデオレターによる暴露は"オチ"といった位置づけである。

ここではオタクは奪われる立場として虚構上の存在と同一化しているが、視点としては上位の存在*4にある。

視点としては上位にあるため虚構上のタイミングは異なるが、オタクも同じようにヒロインを奪われることに心を痛める。

NTRの痛みは略奪の痛みである。欠損の痛みではない。

ヒロインが自分のものでなくなることに心を痛めるのではなく、”ヒロインが誰かのものになること”に心を痛めるのだ。NTR作品でヒロインとヒロインを奪われる存在の関係が性愛関係にかぎらないのはこのためだ。

幻肢痛の話に戻ると、NTRで心が痛む現象は、自分の所有するヒロインを奪われることに起因しており、ヒロインがあった場所が痛むわけではない。

 

ことばの定義としてはNTRで心を痛める現象を幻肢痛と呼ぶのは誤用である。

 

ただこれが「幻肢痛」とよぶとしっくりくるのは、もともと自分のものじゃないヒロイン(幻)を勝手に所有した気になって、奪われたように錯覚して心を痛めているところにあると思う。

しかし幻肢痛は"失った"器官が痛む病であって、先天的に存在しない四肢は幻肢たりえない。

「そもそもお前には交際経験がないしヒロインはお前のものじゃないだろ」という指摘は、オタクには幻肢として失うべき四肢が先天的にないことを指していて、むしろその心の痛みが"幻肢"痛でないことを主張する、感傷マゾ的行為である。

NTRで心を痛めるのに交際経験は必要か

 「幻肢痛」が誤用であるとして、交際経験がないオタクがNTRで心を痛める現象はどのようにとらえればよいのか。

この現象が嘲笑、批判の対象になる本質は

1.交際経験ないにも関わらず、ヒロインと恋愛関係にある彼氏に感情移入して

2.竿役にヒロインを奪われて心を痛める

ことにある。

実際は女性と付き合ったことがないのにヒロインと自分が交際関係にあるという妄想をしたうえで(1)、竿役に寝取られて心を痛める(2)というオタクのややこしさがユーモラスに感じられる。

ここでは2で心を痛める前提として1のように自分の経験の範疇を超えた感情移入をしているが、これは別段特殊な例ではない。

例えば親が子を失う物語があったとして、自分に子がいなくても感動できるだろう。たしかに実際に子供がいた方が親の方に感情移入できるだろうが、その人もまた、実際に子供がいて失った人に対してへだたりがある。それらの虚構の感情移入の対象に対するへだたりによって、虚構の物語に対する没入度は変わり、感動も異なるだろうが、それは質的差異であってどれが"ただしい"感動の仕方かはわからない。

「現実に妹がいれば妹萌えはできない」といった言説もあるように、虚構の感情移入の対象と実際の自分にへだたりがあったほうがむしろ、幻想として虚構を消費できる側面もある。

だから1の「実際は~にもかかわらず」の部分は否定されるべきではない。

虚構の感情移入の対象と実際の自分が同じである必要などどこにもないのだから。

妹がいないのに妹で萌えてもよい。女性なのに男性向け作品に没入してもよい。交際経験がないオタクでもヒロインの彼氏に感情移入して、浅黒い男にヒロインを寝取られて、ビデオレター(令和にもなっていまだにVHSなのは竿役のこだわり)を送られて心が破壊されればいい。

 

NTRで心を痛めることを幻肢痛と"誤用"したとして、他の有象無象の虚構による痛みの消費もまた幻肢痛に該当する。そこでは「幻肢痛」ということばに特殊性はない。それはただ「虚構による痛みの消費」を意味するだけのことばだ。

 

 

 

 

 

 

 

*1:参考:Wikipedia「寝取られ」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%9D%E5%8F%96%E3%82%89%E3%82%8C

*2:別にオタクと限定する必要もないと思うが、ここでは虚構への親和性が高い人々、オタクがNTRを消費することについて考察する。

*3:参考:幻肢痛-脳科学辞典https://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E5%B9%BB%E8%82%A2%E7%97%9B

*4:虚構内の彼氏にはヒロインが竿役に攻略されていることを知るすべはないし、電話で喘ぎ声を聞いても風邪っぽいと勘違いするだけだし、目の前で小刻みに触れているヒロインにバイブレーションが仕込まれていることを看過できない。それに対し、読者のオタクはヒロインの心象まで(描かれる範囲で)すべて把握できる。