虚無らがえり

アニメ批評/エッセイ

【NTR研究】「NTR」の二次創作性-「純愛」という原典とそれに対する反駁

もくじ 

 

前の記事で考えたこと

昨今、同人活動などでの流行が目覚ましい「NTR」ジャンルについての研究としてGoogleトレンドを使って「NTR」流行の推移について調べた。

 

comkaeri.hatenablog.com

 

NTR」の人気度は時間の経過とともに線形的に増加しており、「妹」のようなある代表的な作品(ここでは、『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』)によるブーストによる流行とは異なっていた。

その理由として「NTR」の二次創作との親和性の高さを挙げ、代表的な「NTR」作品がなくても一次創作としての「純愛」作品が供給されればそれを「前フリ」として質の高い二次創作「NTR」作品を作ることが可能であり、安定して人気が拡大していったと考えた。

 

※この考えは「NTR」の流行の推移から導出されるものではない。「NTR」と同じように線形的に流行したジャンルには「男の娘」、「おねショタ」などがあり『俺妹』のような先駆け的な作品を持たずに流行するパターンは多くある。

NTR」の二次創作性は「NTR」の性質によるもので、「NTR」がこのような流行パターンとなった要因のひとつでしかない。

 

前回の記述。

NTRは前提として寝取られるヒロインが主人公と親密な関係に無くてはならない。しかし、多くのNTRの一次創作ではヒロインと主人公の関係よりもヒロインと寝取り男との関係に多くの分量を費やしているように思える。これはNTRを主題にした作品としては「ヒロインが寝取られる過程」が求められていて、それにこたえるためにヒロインと主人公の描写が手薄になるのだろうが、それゆえにNTRの前フリが薄くなってしまい、一種のジレンマに陥ってしまう。

では二次創作におけるNTRはどうだろうか。

一次創作におけるNTRでは作品内で前フリを用意する必要があったが、二次創作においては作中のカップリングと相反するNTRでは、一次創作そのものが前フリの補完となる。

十分な分量があるほんものの前フリが用意されていることはNTRの質を高めてくれる。同人的な二次創作が一次創作の分量を超えることはないだろうから前に述べたジレンマに陥ることはない。

NTR」ジャンルはその構造上、二次創作との親和性が高いのだ。

からかい上手の高木さん』のようなNTRとは程遠い相思相愛ものの作品ほど、重厚な前フリとして機能し、それをもとに純度の高いNTRが生成される。

NTR」ジャンルが成立するためには寝取られる側とヒロインの関係を描く「前フリ」パートが必要だが、NTRではヒロインが寝取られる描写に主眼を置きたいがために「寝取られ」パートに多くの分量を割きたく、「前フリ」が不十分になってしまうというジレンマを解消するのに、「二次創作」というフォーマットとシナジーしている......という結論だった。

今回はNTR作品の二次創作性について着目する。

ここでは「NTR」をつくるうえで二次創作の形式がやりやすいという次元を超えて、

NTR」というジャンルそれ自体が、二次創作である

ことについて考える。

二次創作とはなにか

そもそも二次創作とはなにか。二次創作については著作権法のような法的な議論がさかんだが、ここでは一般的な二次創作の定義として

二次創作とは原典(一時創作物)となる創作物に登場するキャラクターを利用して、二次的に創作された独自のストーリーの漫画・小説といったメディアやポスター・フィギュアといったグッズなどの派生作品を創作することにする。

二次創作においては原典となる作品の登場人物のデザインや設定はそのままに、原点と異なるストーリーや関係性が創作される。原典の設定や関係性をうまく生かした二次創作もあれば、作家独自の世界観設定やオリジナルキャラクター・他作品とのクロスオーバーなどを導入し、原典ではありえないようなストーリーがのびやかに描かれることもある。

また、「BL」や「百合」といった原典の作品のキャラクターたちの関係性に着目し、原典の関係性をさらに発展させたり、作家による解釈によってそれらの関係性から全く異なるストーリーを二次創作するパターンも存在し、原典作品の人気に大きな影響を与えるほどのポテンシャルがある。

二次創作が成立するには原典と同質の登場人物たちが、原典とは異なる関係性やストーリーを歩む必要がある。そうでないならば、それは原典の(劣化)コピーにすぎない。

そして、原典の作者でも二次創作は可能である。

原典の作者が自身で二次創作を行うケースもなくはない。

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例えばコロコロコミックで連載されていた『バーコードファイター』は同作者が別名義で『アナルエンジェル』という題で成人向け漫画として二次創作されている。(「宇宙はさくらちゃんを中心に射精してるってことでもあるの!」←????)

 

他には公式の作品であっても原典に影響を与えないスピンオフなども一種の二次創作と言えるだろう。

 

原典としての「前フリ」パート、二次創作としての「NTR」パート

では「NTR」において二次創作はどう成立するか。

原典となる作品があり、その登場人物が寝取られる展開の作品は当然二次創作だ。

からかい上手の高木さん』の登場人物、高木さんが竿役に寝取られる作品があるとしたら、『からかい上手の高木さん』が原典にあたり、原典の登場人物がそれとは異なる関係性に変性していく意味で、これは二次創作であり、読者の脳は破壊される。

ここではヒロイン(高木さん)と寝取られる側(西片)の関係性が原典であり、NTRによって破局、寝取る側との性愛関係によって変性していく過程が二次創作されている。

ここでは二次創作と原典との差異は関係性とその変化の過程(ストーリー)にある。

そしてキャラクターに差異がないとすれば、彼らの"正統な"関係性・物語こそが原典の特性であり、そこに手を加えることが二次創作なのである。

だとすれば、オリジナルのNTR作品であってもそこには二次創作の形跡があるのではないか。

NTR作品は「前フリ」としてヒロインと寝取られる側の関係性が提示され、ヒロインが寝取られることによってその関係性が崩壊し、本来彼らが歩むはず、歩んでしかるべき物語が隠蔽される構造をしている。

ここでは全く同じ登場人物たちが、本来あるべき関係性とそれに基づくストーリーがあって、それが第三者(寝取る側)の脅威によって改変され寝取られる過程が描かれ、結果としてヒロイン-寝取られる側の関係性が変性している。

これは原典と同じ登場人物の、原典と異なる関係性・物語を描くという意味で、二次創作そのものである。

そして、「NTR」は寝取られる側とヒロインの「純愛」という正統で肯定される関係性・物語と"異なる"だけでなく、それを"否定する"位相にある点において、さらに二次創作としての強度が高い。

二次創作は作家が原典と異なるサブストーリーを作る営みであるが、前述の「BL」や「百合」においては原典のシーンに基づいた解釈が一般的である。そのため、原典で「絡み」のある登場人物らはカップリングされやすく、原典のストーリー展開を受けてあらたなカップリングが注目されることもある。

そういった点でこの二次創作は原典とは"異なっている"が、"従属している"。

それに対して「NTR」は「純愛」という原典の関係性・物語を変性させ、場合によっては登場人物の性格すら変えてしまう。さらにその構造から原典の「純愛」が強力であればあるほどそれを否定する「NTR」展開も強力になる。「NTR」という二次創作は、関係性・物語について「純愛」である原典の逆ベクトルを描く。

 

すべての「NTR」はその構造から二次創作とみなすことができる。

そして、原典の「純愛」的な展開を否定し・破壊する点において(原典からの物語の逸脱という意味で)究極の二次創作である。