虚無らがえり

アニメ批評/エッセイ

母子の呪いとしての『竜とそばかすの姫』

※記事内容はネタバレを含みます。

 

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はじめに

 

 2021年の夏に公開されたスタジオ地図の『竜とそばかすの姫』は上映後瞬く間にヒットし、やや時間をおいてからネット上で否定的な議論が交わされるなど大反響でした。

現実世界では人前で歌うことができない鈴が、ヴァーチャル空間「U」ではBellという仮想の歌姫として人気を博するうちに、嫌われ者の「竜」と呼ばれるアバタと関わりながら現実の彼を救おうとする物語です。

 鈴の声とBellの歌唱はシンガーソングライターの中村佳穂さんが担当し、作中にて「魅力的で不思議な楽曲」と評されるBellの歌唱力をそのまま再現しており音楽のクォリティはかなり高いと感じました。こういう映像作品で音楽の才能があるキャラクタを出すと演者の能力の問題でギャップというかガッカリ感が出てしまうものですが、Bellに関しては音楽の能力からキャスティングをしていてその点は成功していると思いました。*1

僕としては実写版『BECK』で佐藤健演じる主人公の歌唱シーンをあえて無音にすることで俳優の能力をカバーしつつキャラクターの才能を担保する手法なんかも結構好きなんですが。

 

 さて、さっきから音楽がいいと書きましたがそれは他が微妙ということです。ねとらぼの「夏の終わり」さんの記事が端的にまとめる通り、脚本の粗さがところどころ出ちゃってて脳内で補完しながら鑑賞する必要のある作品でした。

 

nlab.itmedia.co.jp

 

ただ、警察機能や児童相談所などの社会システムへの不信については、作中のテーマを踏まえると仕方がないんじゃないかと擁護したい立場です。

むしろ僕が気に入らない*2のは脚本の粗さではなく、そこまで脚本を歪めてまで表現したかったテーマの方なのです。

 

 

 自己犠牲の反復として

 

 ここでは『竜とそばかすの姫』を亡くなった母と取り残された娘の反復、

・見ず知らずの女の子を自己犠牲によって助けた母

・を娘がトレースすることで母を理解する(母になる)

 ことを物語の根幹として考えます。

 

本筋としてはこんな感じでしょうか。

【過去】

 鈴に音楽(つまり彼女のすべて)を授けた母はある日、中州に取り残された見ず知らずの女の子を助けに川の中へ飛び込んで命を落とす。母親を引き留めることができなかった鈴は深く落ち込み、(そんな鈴をしのぶ君は見守るのですが)父親との関係も停止してしまう。成長するとともに感情を音楽にぶつけるようになる鈴だが、母親がなぜ自分を置いて他人を助けたのか理解できないことに苛立ちを覚えます。

【ヴァーチャル空間】

 そこから「U」の世界に飛び込んだ鈴は、現実とは異なる姿で目いっぱい歌うことができるようになる。親友のヒロちゃんのサポートのおかげでめきめきと頭角を現すうちに、たまたまライブに乱入した「竜」と出会い、逢瀬を重ねるうちに彼の痣の正体=虐待を知って助けたいと感じるようになります。

※「U」で竜と出会うことで彼の匿名性が担保され、母が助けた「見ず知らずの女の子」と「竜」が重なるということだと思います。

美女と野獣』のオマージュは、ここではミスリードとなります。母が助けた少女のように「竜」もまた他人である必要があるのだから、Bellと竜は恋愛関係にないべきです。

【現実世界】

 話は現実に戻り、アカウント50億の中からたった一人の*3現実世界の「竜」を探すことになります。ふたりきりのときにBellが歌った曲をヒントとして「竜」の顔出しYoutubeライブを発見し、さっそく凸しますが鈴も顔出しで通話してしまい自分がBellであることを証明できず居場所を聞き出すことができませんでした。

※ここで「竜」=恵の「助ける助ける助ける!うんざりなんだよ!」というセリフがある通り、外部の大人はあてにならないという彼の失望があります。それゆえに彼は共に虐待をうける義弟(?)のために自分がヒーローとして活躍する姿を見せたかったわけです。

 先述の記事にもある通りこの部分は社会システムへの不信とされていますが、本筋に立ち返ってみると、ここでの傍観者(社会システム)は鈴の母が川へ救助しにいったときになにもしなかった他の大人と重ねるための描写で、社会批判としての意図は薄いように思います。

 【ふたたびヴァーチャル空間⇒現実へ】

 鈴は「竜」から信頼を得るために「U」で顔出し生ライブを決行することにします。正義マンからの謎ビームを浴びて「暗号化された生体情報をさらけ出した」--ヴァーチャルな世界で現実世界の身体が描画された「鈴」は、アバタの殻を捨てて震えながら歌います。

ネット上でガワをかぶった人が素顔をさらすのは致命的なのです*4が、彼女の勇気と歌声に感化されたネット民は謎の光源を発生させて彼女を応援します(劇場版プリキュア)。

 

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しっかり鈴=Bellのライブを観ていた恵は心を開き、住所を教えようとしますがDV父によって阻止されます。

夕方のチャイムなどの断片的な情報を居合わせた友達たちと照合して住所を特定することに成功しますが,警察に通報してもすぐには動けない模様。

なので鈴が単身で現場に直行(夜行バス)します。雨の東京、鈴がやってきてDV父を覇気で圧倒し、恵は勇気づけられたとお礼をして、二人はそれぞれの人生を歩んでいきます。

※ここらへん粗さがすごいんですけど、まず普通に夜行で東京行くんだってのがあります。せっかくヴァーチャルな技術が発展してる世界観を用意してるのだから、ワープ的なギミックとか、遠征で近くにいるカミシン君を電脳ハッキングして遠隔操作とかしてほしかった。

あと、所詮は子供の鈴が現場に行ってなんとなるんだという問題もあるんですけどそこについては後述します。

 

 さて、このような観点から物語をみると「竜」は匿名という点で、鈴の母が助けた赤の他人の女の子*5と一緒なわけです。そんな名も知らぬ誰かを危険をいとわず助ける行為はやはり美しく、なるほど母性を感じます。

そのような母の自己犠牲を、鈴は「U」での顔出し生配信と危険な現場へ向かうことで反復します。恵の自宅へ向かうところで雨が降るのは母が死んだ川=水のイメージの連想ということでしょうか。

 美しい自己犠牲の連鎖は滔々と流る川のように、母から娘へと継承*6されたわけですが、この反復=連鎖こそがグロテスクなものに見えてしまうのです。

鈴の母がしたことが間違っているとは思わないけれど、自己犠牲という部分に関しては失敗の結果であって最善手ではないと、まさに作中に登場する「心無いコメント」をしたい。

 

 

呪われた保守

 物語の結末として、母の死なぞることで母を理解した鈴はわだかまりが解けて人前で歌えるようになります。忍君との関係が回復するシーンは彼女の成熟を感じさせるものであり、鈴自身が「母」になることを暗示させます。

 亡くなった母親の足跡をたどることはじっくりと死を飲み込むことであり、喪が必要なんだと同意できるものです。

そして娘が母親を反復することも、生物的な保守--半自己増殖(生殖)として理解できますし、なによりもこの継承によって社会というのは維持できているのでしょう。

例えば大学のサークルなんかは、自分が後輩として活動に参加するうちにやがて先輩として運営に携わるようになり、かつての自分の立場である後輩へと文化や技術を継承します。昨今ではコロナウイルスの流行によって活動が2年ほど停滞し、このようなサイクルの危機が訪れているのを当事者として実感します。

 けれども保守のサイクルによって完全な維持は不可能なように、悪しき伝統というものは淘汰されていきます。生物的な可変性--進化です。

 鈴の母が彼女に残したものは、父が語るように「他人を思いやれる心」だけではありません。自らを破綻させてまで他者を助けてしまう呪いをかけてしまったのです。

鈴の母の行動は勇敢ではありましたが、他の手段もあったはずです。他の大人と協力していれば、例えば縄や手をつなぎあって何人かで陸と彼女をつなげれば誰も死ななかったかもしれません。これはまぎれもなく防げた悲劇の結果です。

 

 だからこそ鈴にはそこから脱してほしかった。(悪い言い方ですが)脚本的には「U」での顔出しライブで彼女は十分に傷ついた・・・・・・・・

 自分を傷つけてまで他人を助けることは本当に正しいのだろうか、自分のように母を亡くして傷つく人が、ヒロちゃんのように心配する人がいる。けれども「竜」を助けたい。ならば誰かと一緒に助けようと、忍君と「竜」の元へ行ってもいいんじゃないだろうか。

 高校生が一人増えたって現実的に虐待の問題はどうにもならない。けれども、ここで重要なのは鈴が傷つかないことなんです。忍君は背も高いし運動神経もいいふうだからDV 父と対面しても物理的に守ってくれそうじゃないですか。

鈴が恵と知を抱きしめる様子を一歩引いて見守る忍君。そこにDV父がやってくるとすかさず間に入って制止してほしい。その方がカッコ良くない?なんかカミシンと比べて虚ろなんだよな、忍君。

 

 まぁこれは僕の妄想なんですけど、これが本作が肌に合わない理由です。

匿名の誰かを助けるために亡くなることは良い話だけど、それを反復するのは永遠につづく呪いにほかならない。だから母をたどる過程でその呪いを断ち切るような打破が必要なんじゃないかと。

脚本を歪めて(社会システムへの不信と絵空事のようなご都合展開)まで表現したかったテーマ、それ自体が歪んでみえてしまったからうまく入り込めなかったのではないでしょうか。

しかし一方で、このような歪みを発生させ、人々を引き付けるこの作品にはそれだけで価値や魅力が十分に詰まっているのだとも思うのです。

 ◇

 

*1:演技ではなくパフォーマンスを優先してプロを起用するのは『BanG Dream!(バンドリ)』っぽいですね

*2:きわめて個人的な立場として、単純に気に入らない。

*3:このヒロちゃんのセリフ「アカウント50億の中からたった一人を探すなんて無理だよ!」、説明口調すぎませんかね。予告編のために突っ込まれたセリフっぽくて、なんかなぁ。

*4:例:のらきゃっと さんなど

*5:彼女は現実世界での名前も、「U」でのアカウントも登場しないという点で真に匿名な存在です

*6:これは『へレディタリー/継承』な「継承」です。