虚無らがえり

アニメ批評/エッセイ

『きんいろモザイク Thank you‼︎』感想--難民のための鎮魂歌(行進曲)--

 先日、『きんいろモザイク』の劇場版にしてアニメ版の最終回となる映画『きんいろモザイク Thank you‼︎』を観に行きました。

 

www.kinmosa.com

 

 平日の午後四時過ぎ、石川県の国道沿いに位置するシネコンにて。がらんとした館内は僕と友人しかおらず、黙って観るような作品でもないのできんモザの思い出をぶつぶつ話しながら鑑賞しました。

雑感としては、劇場版というより最終回って感じ。TVアニメ版の延長というふうで、学園を舞台とした作品が通過すべきイベント--修学旅行、受験や卒業--をテンポよく消化していきつつ、綾と陽子、カレンとアリス、忍とアリス、久世橋先生とカレンなどの登場人物の関係を清算していく*1お話しでした。

 

 

 

 

なので、実質『劇場版 レビュースタァライト』などと茶化してたんですけど、オープニング中にアリスたちが新幹線に乗り、OP直後に修学旅行編が開幕する疾走感は"ワイルドスクリーンバロック"を感じさせるもの(どっちも「電車」モチーフだし)だったのでそんなに的外れでもないと思います(?)。

 82分の尺で修学旅行⇒受験⇒卒業と並行してキャラクターの関係の変化も描くため展開のテンポがはやく、逆に言うとひとつの映画作品としてのつながりはあまり感じませんでした。一応、冒頭に時系列的に最後となるイギリスのシーンを持ってきてるので、映画としてひとつの環構造にはなってるのですが。

ただこれに関しては『きんモザ』の日常を終わらせたるぞ~という気概を感じるモノであり、制作陣の責任を感じました。高校三年生のアリスたちの日常を時間軸に沿って回収していくような作劇には、物語の続きという余地を与えません。

もちろん物語のあともアリスたちの新しい日常は続いていくことが提示されるのですが、それは5人が同じ高校に通う『きんいろモザイク』の日常ではないという事実を、「卒業」という言葉がたたえる"終末"と"萌芽"の二面性に託しているのです。

 卒業をテーマにする以上、「日常系作品の終わり」問題について触れざるを得ないのですが、ここでは本質的な議論*2は省き、日常系アニメが終わると虚無感に襲われてしまう「難民」現象について取り上げます。というのも、この映画は「難民」に対する明示的なアンサーとなる描写があるためです。

 

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 日常系作品は大きな物語がなく淡々とした作風だけど、それはまさに僕たちの日常に織り込まれていきます。これは虚構と現実が混在するのではなく、"日常系作品を見る僕たちの日常"が生まれるということです。

 現実を生きる僕たちの生活に、虚構を楽しむひとときが織り込まれるのは、必ずしも日常系作品にかぎったことではないのですが、けれども作中の物語が希薄なぶん、僕たちの日常とキャラクターたちの日常が並立するような感覚がつよいような気がします。

アリスたちのきらきらとした日常はそれを眺める僕たちの日常に織り込まれ、ひとつの状の模様をつくるのです(タイトル回収)。

 

他の例では『100日後に死ぬワニ』はまさに"日常系を楽しむ日常"を提供した作品で、一日ごとに更新される4コマは平坦なワニくんの日常を描くだけだが、読者は毎日更新するたびについチェックしちゃうような、読者の生活に『100ワニ』が重なって成立する作品だったわけです。

 

 

 

 そんな日常系作品の(放送)終了は、作中世界の日常の終わりではない*3けれど、"それを楽しんでいた僕たちの日常"は確かに終わってしまいます。さみしい。

 というふうに寂寞せきばくを抱えながら、修学旅行ではしゃぐアリスや受験に励む綾や陽子、なぞの踊りを披露する*4先生や忍を眺めていると、物語はふたつの回想を経て締め括られることになります。

 

ひとつは物語の終わりに、卒業式のシーンで各キャラクターの回想が流れます。アリスたちがそれぞれの思い出を回顧しながら校歌を歌う場面はカタルシスとして機能していて、部外者ながら感慨深い気持ちに浸ってしまいました。

そして大学生となった5人がイギリスで再会して物語は幕を閉じます。

けれどもエンドロール後の、"もうひとつの回想"は異質なものでした。

彼女たちが歌う『威風堂々』をバックに、4分割されたTVアニメ版『きんいろモザイク』のダイジェスト映像が流れたのです。

 

<記憶をもとに再現した画面>

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(C)原悠衣芳文社きんいろモザイク製作委員会

 

TVシリーズの映像は、この映画には存在しないシーンです。では、時間軸の異なるシーンを並列し、加速して眺める(ので回想っていうか走馬灯ぽい)ことができるのはだれか・・・

これも彼女たちの回想なのか。エンドロールのあと、物語の終わりにTVシリーズを思い出しているのだろうか。けれども、そこ(枠の外)に彼女たちの姿はなく、無機質な4つのフレームがいやにはっきりと浮かび上がる。

そう、これは僕たち(観客)のための回想だ。

TV版を知り、物語の外から彼女たちの日常を見ていた。"彼女たちの日常"は"僕たちの日常"をつくった。ときおり思い出す、1話=30分弱の"日常"を毎週の楽しみに、糧に、あるいは救い として生きた日々。彼女たちとのコミュニケーションはついに叶わなかった。けれど確かに並んで歩んだ"それぞれの日常"を--

 

環構造として閉じた物語--『きんいろモザイクThank you!!』--の外側に用意された回想シーンは、物語の外部の存在(=観客、そして「難民」)へと開かれていたのです。僕たちは『きんモザ』のさいごの刹那にて、もはや声だけの存在となったアリスたちを感じながら"僕たちのための回想"を眺めたのです。

その『威風堂々』は、難民に捧げる鎮魂歌として、スタッフからの感謝の贈り物--「The END」の代わりに現れる「Thank you」がそれを示す--として、"きたる日常"を歩むための行進曲として。

 

 

というわけで

・どちらもTVシリーズのフラッシュバックのようなメタい演出を絡めてファンの作品への呪縛を解き放つ映画なので

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*1:関係を切るというより、今の関係から新しい関係へ変化するニュアンス。

例:カレンのアリスとの別離。カレンはアリスを追って日本に留学しにきた過去を持つが、イギリスに帰国するアリスと離れて日本の大学に進学することを決断する。

*2:<日常系アニメの「日常」とは何か>みたいな?

*3:彼女たちの物語はまだまだ続く。というかアニメが終わっても原作は連載中だったりする。それでも「難民」は発生する。

*4:ここで作画が急にチープになって面白かった。