虚無らがえり

アニメ批評/エッセイ

ホラー映画には内容がない?【ポルノ的映画の工学】

 

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これは『全裸監督』に関する記事ではないです

はじめに

 先日、サークルの後輩が「僕はホラー映画は面白く感じない。内容がないというか・・・(意訳)」というようなことを言ってました*1。そういわれると確かにホラー映画やティーン向けの恋愛映画などには独特のうつろさのようなものを感じます。見終わった後に何も残るものがない...などと言うと教養のために映画を観るのか*2という話になってしまうのですが、実感としてこの手の映画は鑑賞中の快楽はつよいけれども、そのあとに訴えかけてくるものが少ないように思えます。しかし、このうつろさだけを取り上げて「ホラー映画は内容が(あるいはテーマが-問題提起が-新規性が-)ない」と切り捨ててしまうのもすこしもったいないんじゃないかなーとも思うのです。

 そこでこの記事ではホラーやティーン向けの恋愛映画のようなジャンルの映画を鑑賞者の欲望と消費様式に注視して「ポルノ的映画」として特徴づけ、エンタメ映画やアート映画などと比較しながらホラー映画、そして映画の可能性について考えてみます。

 

 

「ポルノ的映画」

 「ホラーや恋愛ジャンルの商業的な映画」などとふわっと扱っている概念について、ざっくりと定義してみます。

 さて、「人はなぜホラー映画を観るのか」という疑問に対するいちばん率直な答えは「怖がりたいから」ではないでしょうか。僕たちは怖くなりたいからホラーを観るし、きゅんきゅんしたいから恋愛映画を観るし、性的な欲望を満たすためにポルノを観る。そして、そういった映画(映像)はその感情を満たせるかどうかが重要で、他の部分はどうでもよかったりします。ホラー映画に求めるものは純粋に怖さであって、「役者の演技がいい」などというのは"効率よく"怖がるための条件のひとつにすぎません。

 このような、

(1)恐怖やときめき、感動のような特定の情動を(自覚的に)欲望する鑑賞者によって消費される映画で
(2)制作者もまた、鑑賞者の特定の欲望を満たすことを主な目的としてつくる映画

のことを「ポルノ的映画」とよぶことにします。

 

ポルノ(ポルノグラフィ)とは、狭義では性的興奮を起こさせることを目的としたエロチックな行為を映像などで表現したものをさします*3が、性的な興奮以外の感情(恐怖、きゅんきゅん、感動)について拡大してみても、鑑賞者の消費様式は共通してるんじゃないでしょうか。「感動ポルノ」という言葉もありますよね。

 

 ただ、ここで留意したときたいのは「ポルノ-」という言葉を使っているけれども、そのような映画やそれを楽しむ人々を否定する意図は全くないことです(肯定もしませんが)。性的搾取をめぐる問題から、ポルノという言葉は批判的な文脈で用いられることが多いです*4が、ここではそれについては議論しません。

ただ、「ポルノ-」という言葉がもつ近寄りがたいイメージは「ポルノ的映画」のある側面を反映しています。それは「ポルノ的映画」の排他性で、鑑賞者を選ぶということです。

定義(1)の通り、「ポルノ的映画」は恐怖や感動のような特定の感情を満たすために鑑賞されます。だから、その感情に飢えていない人にとってはつまらないものだし、それはまだいい方で、ホラー映画なんかは鑑賞者の意志に関係なく、強制的に怖がらせてしまいます。無理やり泣かせるような映画が苦手という人だっていますし、恋愛に興味のない人が見るラブ・ロマンスは苦痛でしょう*5

話がズレますが、僕はスカッとジャパンのような愚かな行動をした人間を吊るし上げるような作品が苦手で、その手の漫画の広告を見るとちょっと嫌な気分になります。これは過剰に性的な広告(ポルノ)が目に入ってきてしまうことに関する嫌悪感と似たようなことではないでしょうか。

 

このように苦手なジャンルの「ポルノ的映画」は見てから批判するというより、そもそも見るまえから嫌われる傾向にあります。 

また、普段は感動モノが好きだけど今日は気分じゃないから見たくないというパターンもありそうです。

このように時や人を選ぶ点について「ポルノ的映画」はポルノの負の側面を一部引き継いでいるのです。

ここでの「人を選ぶ」とは、鑑賞に先行して判断されるという意味です。見る人によって評価が分かれるといった意味合いではなく、鑑賞の前段階ですでに見る/見ないがジャッジされるということです。

 

 この点についてエンタメ映画と「ポルノ的映画」は異なっていて、エンターテイメント映画は「笑いあり涙あり」というお馴染みのキャッチ・フレーズが示すように、様々な感情がわくようにわかりやすい脚本で鑑賞者にアプローチして、鑑賞者を総合的に楽しませるので「ポルノ的映画」よりも射程が広いのです。

 「ポルノ的映画」が「怖がらせるなら-感動させるなら‐きゅんきゅんさせるなら-笑えるなら-なんでもあり」だとしたら、

エンタメ映画は「楽しませるなら、恐怖でも-感動でも-きゅんきゅんでも-コメディでも-なんでもあり」という感じです。

だからエンタメ映画は多種多様な成分を含んでてホラー映画のように極端に人を選ばないのではないでしょうか。そしてエンタメ映画は観客を楽しませるためのアプローチが豊富なので、「ポルノ的映画」に比べて多様です。というか、範囲が広すぎてひとくちにエンタメ映画と言っても何を示すのかよくわかりません。だからそういった作品はSFや時代劇、ファンタジーのように作品の世界観で区分されたり、監督名や制作スタジオなどで分類されるのでしょう。

 

 エンタメ映画は鑑賞者を楽しませてくれますが、「ポルノ的映画」のように鑑賞者の求める特定の情動を満足させるまでは寄り添ってはくれません。ではさらに鑑賞者から離れてみて、監督がその作家性をぞんぶんに表現する映画ーーアート映画についてはどうでしょうか。

まず「アート映画って、なに?(アヤナミレイ(仮称))」って感じなんですが、ウィキペディアでは*6

 「本格的かつ芸術的な作品で、しばしば実験的な要素が入ることを意図していて、幅広い人気を集めることは念頭に置いておらず」、「主に商業的な利益のためではなく美的感覚を追究するという理由で作られ」、そして「 型にはまらない、あるいは非常に象徴的な内容」を含んでいる *7

 とされています。なんとなく同人っぽくて*8ニッチな感じ、ともすれば高尚?なイメージをうけます。

 具体的な作品は、新しいやつだと『ミッドサマー』、『ザ・ライトハウス』、『パラサイト 半地下の家族』(いずれも2019公開)などで、ホラーの要素を含むものが近年のアート映画の潮流らしいです。

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そんなアート映画についてここでは構成的に、「商業的なニーズを無視して自由に作られた、制作者の(とくに監督の)作家性が色濃くでた映画」という風に理解してみます。

これは定義(2)と対応していて、「ポルノ的映画」では制作者が鑑賞者の欲望に寄り添っていた点と対照的です。

 作家が商業的な要請からある程度解放された状態で、観客の視線を気にせずに作られたアート映画は必ずしも明快なストーリーや快楽を誘うようなカタルシスは必要ありません。また、作家性がつよいためにジャンル分け(言語化)が困難でこの手の映画は同じ監督の作品か、または別の映画によって説明されます。例えば『ミッド・サマー』について語るとき、似たような排他的な異文化との接触を描く『ウィッカーマン』を参照するように。

 これまでの説明からアート映画はしがらみのない自由な(作られ方をした)映画で、「ポルノ的映画」は観客の欲望を満たす点で商業的な制限がある、有限な(作られ方をした)映画(アート映画=芸術品と対置するなら、産業製品プロダクトといった位置づけ)として捉えることができそうです。

 

とりあえずここらへんで「ポルノ的映画」に関する考察は切り上げますが、またまた留意したいのは、この分類は映画そのものの本質ではなく人間とその映画との関わりを根拠としていることです。(定義(1)は鑑賞者の消費様式を、(2)は制作者の商業的な姿勢をベースにしています。)

 だから、一つの「ポルノ的映画」に対して鑑賞者がアート映画的にとらえることもあり得ますし、そもそもこれらの分類はスペクトル的で完全に互いを排他しません。

そして『ミッドサマー』がアート映画かどうか、などというのは僕たちが主観的に解釈しているにすぎず、映画は「多数のフレームの画像と配置された音の連なり、字幕というテキストから構成される動画データ」以上でもそれ以下でもないのです。映画とは動画データでしかなく、「映画の意味」などというのは僕たちの解釈によって発生するものにすぎません*9。これを踏まえれば「アート映画のほうがエンタメ映画よりも映画の本質的に高尚だ」といった錯覚に陥らずに済みます。先の例は「アート映画のほうが商業性を考慮しないぶん実験的な表現が多くて楽しいし、応援したい」というのが実情ではないしょうか。

 

 

 さて、ここまで「ポルノ的映画」について考えてきましたが、このままだとつまらないので『キャビン』*10という映画について取り上げてみます。この映画は「SCP」や「クトゥルフ」の要素に注目されがちなのですが、プロダクトとしてのホラー映画の制作の工学的な側面をユーモアたっぷりに描きながら、そこにとどまらない批評性も感じる素晴らしい作品です。

 

comkaeri.hatenablog.com

 

 

 

*1:なんとなくこんな風なこといってたな、と僕が解釈しただけで当人の真意と異なるかもしれません。ただそれについてはここではどうでもよくって、そういう一般的な言説があるよね、ということです。

*2:心の中のホリエモン「バカ。映画は!面白いから観るの!」「ちゃんと映画観てりゃえらいって、お前らが
映画が嫌いだったからそうなってんだよ」「映画は楽しいコンテンツなんだよ。なのに、お前らが映画ちゃんと観ろって言うからバカなんだよ」

*3:参考:

ポルノグラフィ - Wikipedia

*4:先ほど挙げた「感動ポルノ」も障がい者を利用して健常者を感動させることに対する批判的な文脈をもちます。参考:

感動ポルノ - Wikipedia

*5:ここらへんはポルノ雑誌のゾーニングの話とも関連しそうです。

*6:参考文献wikiばかりなのはご容赦ください。この文章は学術的な厳密さに欠いておりますどうぞよろしくお願いします。

*7:参考:

アート映画 - Wikipedia

*8:wikiに"1980年代から1990年代までに、「アート映画」の意味はアメリカにおいて「自主映画」と融合するようになった"ともありますね

*9:ここらへんの議論、文芸批評の理論にあったと思うんですけど忘れちゃいました。すみません。

*10:2013年公開,米国の映画,監督はドリュー・ゴダード(『オデッセイ』など)