虚無らがえり

アニメ批評/エッセイ

同人誌の寄稿報告

ながらくブログを更新しませんでしたが、文章は書いてます。葉入くらむ 名義で同人誌に寄稿しているので宣伝したいと思います。

 

 

金沢大学映画研究会部誌vo.8 『拡張するフィルム』

 10/29-30金大祭と、11/20 文フリ東京にて頒布。

 映画研究会の部誌では、編集校正を担当し、映画評を二本書かせていただきました。

 

『キャビン』―祝いと呪いのポルノグラフィ―

 以前から考えていたポルノ=ホラー論を下地に、『キャビン』の倒錯的構造を明らかにしようという論考です。恐怖ポルノであるホラーにおいて、テンプレ通りの物語展開を求める「古き神々」の認識は、作劇のプロトコルがフェティッシュに転化されているとかそういう話です。後述のアクアトープと明日ちゃんを先に書き終えて、燃え尽き気味だったこともあり、とりあえず過去記事をリメイクして紙幅を埋めるつもりで書きました。ホラー=ポルノの工学的側面について書いた文章の、副産物だったわけです。

 

comkaeri.hatenablog.com

 

とはいえ、「大麻」をパルマコンとして位置付けるあたりは書き直すときに発想したもので、よくなったと思います。「愚者」=マーティの登場から文体のレベルにおいて酩酊感を出すような、レトリカルな記述に挑戦したり。

『キャビン』、ちょっと古い洋画ですが、かなーり面白いのでお勧めです。

 

(本文抜粋)

ついに「ホラー映画のオマージュ」は、純然たるホラー映画となった。「愚者」はその役職を逸脱し……”マーティ”はホラーを救い出した。怪物の急襲、圧倒的な殺傷能力、そして飛び散る鮮血と肉片こそが恐怖に捧げる贄にほかならないのだ。

ラブ・アンド・ピース!レスト・イン・ピース!

 

『私に天使が舞い降りた!プレシャス☆フレンズ』―反復するプレシャス・タイム―

 二本目の批評記事です。『キャビン』のほうは執筆に随分と時間がかかったのですが、こっちは早かったです。原稿の締め切り前夜に、シンフォギア3に負けた足で映画館にいき、その晩に書きあげました。

 僕はTVアニメ視聴済みで、原作漫画も借りて読んでたので謎の義務感で観に行き......正直舐めてたんですよ。日常系作品の劇場版って断片的な話をまぜたOVAチックな印象があって。これは不当な侮りで、劇場でわからせられるわけですが。

 本作では花のおばあちゃんが登場するのですが、彼女にもまたマチさんという友人がいて、<花-みやこ>の関係の延長線に老婆二人がいるんですね。これは二人の行く末を示すと同時に、「このままでいてほしい」というみやこ(あるいは視聴者)の欲望を切り捨てていて、そこが面白いと思いました。本文ではマクガフィン=髪飾りを軸に、テーマとプロットを説明しました。構成を整えるために導入したのですが、書いているうちに「もうひとつのマクガフィン」がありますよね、ということになりクリティカルな文章になりました。見た当初は宿泊シーンで小依と夏音がおててつないで寝るシーンにかなりの 𝑃𝑅𝐸𝐶𝐼𝑂𝑈𝑆 𝐴𝑁𝐼𝑀𝐴𝑇𝐼𝑂𝑁 を感じたんですが、構成の関係で泣く泣く切りました。

 

 

(本文抜粋)

天を上る尾と、いまこの上空に瞬く閃光、遅延する轟音。その時その場所でのみ感じることができる一回性の経験。それはカメラでは再生不可能な光であり、彼女たちだけが過ごすことができるあらかじめ反復されざる運命にある時空間―彼女たちが生きる世界そのものである。

 

金沢大学文芸部部誌「轟」

 10/29-10/30金大祭にて頒布。

 夏休みを主題に短歌十首を書きました。秋に入り、この夏を振り返る短歌を書こうという気分で書きました。せっかくだからどこかに投稿しようと思い、友人のツテで文芸部さんの部誌に載せてもらいました。

 書いた勢いで寄稿しましたが、今思うとかなり無茶な要求でした。この場をお借りして感謝と謝罪の意を述べさせていただきます。

 

鬱アンソロジー『鬱と僕と…』

 11/20 文フリ東京で頒布します。

 

 

 

 大学サークルのつながりで参加した合同誌です。各自「鬱と○○」をテーマにした文章を書く合同誌です。僕は「鬱と希(まれ・こいねがうこと)」と題して『白い砂のアクアトープ』について書きました。「希」の字には「偶然」と「願い」の二つの意味をかけており、そのまま『アクアトープ』評のキーワードになっています。この作品の鬱展開には「奇跡」が絡んでおり、神学的奇跡/確率的奇跡(©『ゴーストの条件』)の線引きをヒントに、「水槽の幻」が神学的奇跡から確率的奇跡への変遷する過程とその「鬱展開」を記述しました。『アクアトープ』はとても好きな作品で、いつかまとまった文章を書きたいと思っていましたので、隙を見て(というより隙をこじ開けて)寄稿しました。意識して説明が通るように書いたつもりですが、終盤はドライブ感を抑えきれませんでした。

 

(本文抜粋)

完全に人為的な作業で構成された空間で、キャラクターは動き出して生命(anima)を獲得する。ディスプレイという表層の、此方と彼方の”隔たりを介して”、内部へと誘われることによって、私たちと、死せる人物(存在しないキャラクター)とが遭遇する。

 

 

 以上、寄稿の報告でした。

 同人誌は本の形に残るのがうれしいですし、他の人と作るので気が引き締まりますね。PVで言ったらネットにアップした方が多くの人に読まれるのですが......。本に成型することで紙の質量以上の何らかの重みがかかってますね。

 同人誌の寄稿を頑張りたいなーと思ってますが、だいたい文フリのタイミングに偏りますし、パッと書きたいときはブログに放流するかもしれません。

ではまた。