アニメ『魔女の旅々』感想 ―そして、同じ夏は二度と来ない
アニメ『魔女の旅々』を見終えたので、第12話「ありとあらゆるありふれた灰の魔女の物語」をメインに魔女旅の感想をだらだらと書く。
- 『魔女の旅々』について
本作はライトノベルを原作としたアニメーション作品です。
本作は魔法が存在する中世に似た世界を舞台とし、その世界で旅する魔女イレイナが様々な場所や人を訪れる連作短編集であり、一つ一つの話は長くとも中編程度である。
基本的には一話完結だが、話と話に繋がりがある場合があり、第3巻では短編集でありながら各話に伏線を交え、見方によっては長編のようにも読めるという形式になっている。
物語は基本的にイレイナ、あるいはその他の人物の一人称で語られ、三人称視点は用いられない。
(wikipedia「魔女の旅々」より)
まぁざっくり説明してしまえば魔法が使える世界観の『キノの旅』です。
主人公のイレイナが毎話いろんな国を旅して、そこでの出来事を本にしていくというのが基本的な物語の構成。
ダークで寓話的な回もあれば、ギャグに寄せた回もあるので今日はどんなテイストになるのか楽しみながら観るのもよいでしょう。
僕は第七話「正直者の国」がすきです。
あと、初回がプロローグみたいなのでぶっちゃけ面白くない二話以降の評判のいい回を先に見て、後から見るのもいいと思います。(スターウォーズかな?)
- 「旅人」という立場
旅人というのは、定住して仕事をもって、家庭を持つ古来から現代まで続く人間の生活様式とは違う生き方だ。人類は農耕によって安定した資源と貯蓄ー個人が所有する富を手に入れ、社会の規模は拡大し、やがて国家という共同体をつくるに至った。文明的な生き方のためには生まれ故郷でなくとも、特定の土地に根付いて地域の社会に加わらなくてはいけない。そこには他社との濃密なコミュニケーションと、代わり映えのしないルーチンがあり、それを受け入れることで安定した生活と居場所を得ることができる。
作中世界が中世ファンタジー風でも、旅を続けることの難しさは現代と変わらないようだ。
作中で登場するイレイナの後輩魔女のサヤは、旅をしながら生活するために魔法統括協会*1に所属し、仕事をしながら様々な国を回っている。
イレイナは仕事をしているわけでもなさげなので、どうして旅を続けられるのかよくわからないが、土地に、仕事に束縛されないという意味でも真の旅人でいられる彼女は稀有な存在だろう。
「能力のあるものは、能力のない者を助けなければならない」という、規律に従っているのがサヤに代表される魔女たちだとしたら、高い能力を持っていながらそれを社会のために使わない彼女のスタンス、それ自体が旅人的だ。
社会的責任から解放されていながら、魔女という社会的なステイタスも持っている状態......大学生?。
ともあれ、彼女が移動を続ける理由は新しい職場へ向かうための「転勤」でも、取引先への「出張」でも、「観光」でもない、移動それ自体が目的であるー「旅」なのだ。
東方projectの霊夢の「空を飛ぶ程度の能力」っていうのは、重力や他の圧力も無効にできるっていう意味で、仏教の「空」の概念もかかっていて...みたいな感じのそれです。
そして彼女が旅をするのは純粋に自分のためで、旅の先々で人のことを助けることもあるし、助けられないこともある。割と報酬目当てというか、私利私欲のために生きている印象を受ける。旅をしながら現地の人間を助けていく…という少年漫画的なさわやかな献身の精神はそこにはない。
12話で「自分しかいない国」を訪れるのが、本当に象徴的で、ゾッとしてしまった。
アニメ版の最終話に当たる12話は特殊な回だった。
主人公のイレイナは旅の途中でありとあらゆる夢がかなう国を訪れる。しかしその国には自分と少し違ったイレイナがたくさんいて、「粗暴なイレイナ」から身を隠している。
この国は旅の途中で自分の髪を奪われた「粗暴なイレイナ」の望みによって、異なる世界線のイレイナが集められているのだ!
自分のことしか考えてない[要出典]彼女らしい最後だな...という感想。
会話などから推測するに、この国に集められたイレイナたちは同じ国を旅していったようだ。もっとも攻撃性の高い人格の「粗暴なイレイナ」は切り裂き魔によって髪を奪われたのをきっかけに運命が変化した。
女性にとっての髪の毛は大事な体の一部なので、切り裂き魔の件をきっかけに粗暴になってしまうのは理解できるが、それよりもインパクトを受ける事件があるじゃないかと、僕は思ってしまう。
本作きってのトラウマ回との声も高い、第9話「遡る嘆き」だ。
ネタバレになってしまうので説明は省く*2が、視聴者にとっては一番胸糞悪くて異質な回がある。
第12話が今までの旅を総括する機会なのだとしたら、「遡る嘆き」は外せないと思う。
あの話は「旅人」として現地の人間と関わることしかできない無力さを感じさせるものだったから...
「切り裂き魔」と「遡る嘆き」の相違点をあげるとするならば、前者はイレイナ自身が被害者で、後者は旅先の他人が被害者となる。
他人が深い傷を受けた出来事*3よりも自分が傷つけられた出来事のほうが、彼女にとっては大ごとだったのだろうか。
土地や人に縛られない旅人として、自分が通過していく人々について深入りしない思想を持ってらっしゃるのかもしれない。
とまぁ、作品全体から感じていた旅人特有の傍観者感と利己主義があふれだした結果として主人公の分身に着地したのかなぁ、という妙な納得があった。他のアニメじゃありえないけど魔女旅ならあるか…という感想。
- そして同じ旅は二度と来ない
イレイナちゃんはいろんな自分に出会うわけだけど、それが多重人格的に、性格によって分割され記号化される存在―キャラクターとしてではなく、それぞれの人格が、アドヴェンチャーゲームのマルチエンディングのように、似たような体験を経て異なった人格に分化していった「結果」として描かれる。
イレイナちゃんは旅先の人と深い関係をしない―それこそが旅人の矜持なのだ―が、旅の経験によって人格は変わっていき、同じ国を旅しても、ふとしたことがきっかけで人生は代えがたくなっていく。
旅人という立場は、偶発的な事件に身を任せるという意味で、定住して安定した生活を営むふつうの人間よりも、人生の分岐を、ランダムな出来事によって簡単に変わってしまうじぶんを、深く意識するのかもしれない。
アニメで描かれなくても、これからも彼女は旅を続けているのだろう、そこには彼女が体験した旅と、その右に、左に、上に、下に、彼女が"体験しなかった"別の旅が連なっている。
旅によって変質していく自己と、それによって分岐していく旅路。
無数に広がる「ありえたかもしれない旅/ありえたかもしれない自分」は閉じては開かれ、
そして彼女は選び取るのだろう、
可能性の束――「魔女の旅々」から
たったひとつの「魔女の旅」を
<どうでもいい記述>
最近ぜんぜん記事を書いてなぁと思ったら最後の更新が八月だった。
いや、サークルのnoteとかでちょこちょこ映画の感想書いてたりはしてたんだけど、文章書くのをサボってたなぁと実感しました。
今回の内容も無理やりひりだした感じで、リハビリ?的な出来になってしまって...と保険を掛けることの愚かさ。
「っぱ書かないと感覚鈍るな(笑)」とダルイOBの感傷に浸りつつ。
来年は週1、いや週2...月1で更新できるように頑張ろう。
――いつか、等身大の僕を君に見せることができるその日まで
*1:作中に登場する「魔女」は認可制の称号で、現職の魔女の元で修業を積み実力を認めてもらう必要がある。魔女は一般人が解決できない問題へ取り組むという社会的責務があり、「魔法統括協会」は魔女の管理・派遣を行っている。資格を得ることの困難さや、こういった社会への貢献から、魔女の社会的地位は極めて高く、現代における医者のそれに近しい。
*2:あらすじの説明って技術が必要だし面倒くさいからね、しょうがないね
*3:「遡る嘆き」のエステルは最後に記憶を失うので精神的な傷を負っていない、という見方もできると思うが、(たとえそれが偽りのものだったとしても)親友との思い出を犠牲にしてしまった彼女は、やはり被害者で、それを防ぐことができなかったイレイナは傍観者に過ぎなかったのではないでしょうか