虚無らがえり

アニメ批評/エッセイ

吉野家の(早)朝食

 

 妙にはやく目が覚めた朝は吉野家に行くことにしている。

昨日はゼミが終わってからたっぷり昼寝してしまったので、明朝の四時に起きた。前日の夕食が少なかったこともあり、お腹が空いている。吉野家にいこう。師走も終盤にさしかかり、簡素なアルミサッシ越しに外の温度が伝わってくる。実家から持ってきた電子ストーブのスイッチを入れる。手入れが不十分だったのだろうか、一年前に火花を散らしたストーブは電熱線が片方切れてしまって出力が半減している。外出するのに十分な気力が湧くまで片落ちのストーブにあたりながらスウェットからスーツに着替える。わざわざ私服をピックアップするのも面倒なので日中バイトで着る服を先取りして外出する。

 

 インターネット・ラジオを再生しながら部屋を出る。アパートの駐輪場から原付バイクを取り出す。梅雨や雪の時期は乗車(乗輪?)の機会が減るので入居者による駐輪スペースの苛烈な取り合いが発生する。窮屈なサンクチュアリで前カゴはハンドルと絡み合い、サドルと後輪は干渉しあってもはや一体化しつつある。付近の自転車を丁寧に取り出して、それはまるで知恵の輪を解くようで、スペースを確保してからカブを抜刀する。鍵を回してエンジンをかけるとMCの声が遠のいた。

 バイクは外界に剥きだした乗り物だ。早朝の国道は暗く、速い!寒い!

信号機に引っかかってギアを落とす。とすん、とすんとニュートラルに落とす。エンジンから伝わる動力は車輪から切り離される。エンジンの拍動はただ搭乗者を揺らすだけだ。直交する歩行者信号が切り替わった。ギアを蹴ってハンドルを握る。青信号をみてグリップを回して発進する。さらにギアを踏んで2速3速と加速していくにつれて外気が冷たく刺し込む。マフラーがはためくのは風が吹いているからではない、僕(たち)が空を切っているからだ。周りに人はない。ウィンカーをつけずにぬるりと車線変更してくる車も、自転車の方が速いんじゃないかと疑う渋滞もない。2キロほどの吉野家まで一瞬で着く。平坦な夏休みには回顧すべき思い出も無いように、あっさりと到着した。

 店内に入る。他に客はいない。暖かいお茶を飲む。これはラーメン屋の冷や水のように、居酒屋のスーパードライのように、友達の家のカルピスのように、そこに溶け込んでいる。

「納豆牛小鉢定食 ご飯大盛り」

ご飯と味噌汁にサラダ・納豆・牛小鉢が付いて400円ほど、定食として攻守ともに最高クラス。朝から牛丼は重い。納豆だけというのも寂しい。そんなわがままなニーズにも寄り添ってくれるが吉野さんなのだった。食事についてとくに描写することはない。牛肉を食べてから納豆を食べると重くなくていいと思う。あと牛丼でも味噌汁でも豚汁でも七味をかけると吉(きち)です。

ご飯を食べていると夜勤明けと思しきおじさんや、徹夜明けのカップルが入ってきた。深夜~早朝にかけての吉野家の客層は、洋画で観る深夜のハンバーガーショップのようで、まだ今日という日に満足しない人々が肉と炭水化物でハッピーになろうとするか、あるいはただ朝を待っている。最後にぬるくなったお茶を飲みほしてお会計。

 店外はさっきより明るくなった気がする。きりりとした空気を感じながら来た道を戻る。出勤まではまだまだ時間がある。せっかくだから起きていようか、もうひと眠りしようか。ほっと吐き出した白い息が、さっきより増したのを感じながら帰宅した。